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カンボジアで働いている人の備忘録

24歳、なんかカンボジアで起業したみたいです(他人事)

親父に「カンボジアで働くから」と伝えた

親父と私

私の親父は絵に描いたような「日本のオヤジ」だと思う。

親父は高校卒業と同時に実家が嫌で鳥取の田舎を飛び出し、関西の食品メーカーに営業として就職した。その時から今まで、一度も職を変えていない。

「最近入った若いのが使いもんにならへん」とか「最近の曲より鈴木雅之の方がええわ」とか言いながら、会社一筋50年を迎えつつある。家族6人の大所帯を持ちながら、営業マンにありがちな転勤族としてあちらこちらに飛びながらの日々を送った。西日本を中心に、安住という言葉を忘れて移り住んでいたらしい。

らしい、というのも、私は当時のことをよく知らない。私は4人兄妹の一番下で、特に生活の変化が大きかった時期にはオギャオギャ喚いてただけだった。

鹿児島で生まれ、2歳から小学1年まで広島で過ごし、小学2年から高校卒業まで愛媛で暮らした。卒業後は神戸の大学に進学し、大阪から神戸まで通学していた。なんか色々とややこしいのには、やはり親父の転勤が関わっている。

私が小学4年の時に親父は大阪に単身赴任になった。そこから高校卒業まで、私と親父は年に数回だけ会う仲となった。半年ぶりに会う度に「親父、お土産なに?」「赤福」「美味いの?」「普通や」ぐらいの会話しかしていなかった。

思春期の私は親父との接し方が分からず、軽い世間話で済ます程度だった。親父に悩み相談とかそういうことをした記憶は、今に至るまで一切ない。あるのは受験結果や就職先を伝えるぐらいで、要するに事後報告をするだけ。

相談→反対→喧嘩という流れからの「両親なんてクソだ」みたいな感情を抱かないまま、思春期を過ごした。両親を嫌う程のコミュニケーションを取ってなかったからか、と今にして思う。

神戸方面の大学に進学した時、「親父の単身赴任先から通学した方が下宿するより安上がりや」と親父は言った。おかげで愛媛出身なのに大阪に住みながら神戸の大学に通う、という面倒なキャンパスライフが始まった。同時に親父との2人暮らしも。

親子として実質7年の空白を経ると、お互いに何を話せばいいのか分からないというのが正直なところだった。結果的に、私と親父はもくもくと野球中継を観たり一緒に飯を食ったりする程度の仲に落ち着いた。

一緒に暮らしていても、親父は「大学はどうなんだ」とか、そういう私について質問するようなことは一切しなかった。私が数ヶ月大学をサボって家にずっと居た時も、「今日、大学は」「めんどいからサボった」「そうか」のやりとりだけ。親父はこれ以上深くは聞かない。聞かれないなら言う必要もない、そう考えた私は特別何かを話すこともなかった。

唯一何か言われたことといえば、就活の時期に「公務員がええぞ」と独り言のように呟いた程度だった。私と親父はそんな何とも言えないちょっと不思議?な関係のまま、今の今まで過ごしている。

「俺、会社辞めて海外で働くわ」と親父に報告

 去年大学を卒業し、現在社会人2年目。勤務地が神戸のため、未だに親父と2人暮らし。

また別記事で詳しく説明するが、現在の仕事(プログラマ)を辞めてカンボジアで働くことが決まっている。ただの転職ならまだいいが、さすがに海外就職となると話は別だ。事後報告ではなく、キチンと経緯と意思を伝える必要がある。

しかしただ報告するだけなのに、なかなか親父に話を切り出すことが出来なかった。重みというか、なぜか気後れしてしまっていた。

勝手な想像だが、親父にしてみれば末っ子の私は「最後のコイツは小中高大と躓くことなく順調に進み、無事正社員まで漕ぎ着けて良かった」と見ているはず。なのに「正社員辞めて東南アジアのワケわからん国行きます」とか言えば、親父はいい思いはしないような気がしていた。

また今度言おう、を繰り返し、行くことは決まっているのに言うことができないままズルズル数ヶ月経った。見かねた私の友人達に「はよ言った方が絶対いい」と後押しされ、ついに意を決して報告することにした。人生で初めて「大事な話がある」という言葉を親父に使う日が来た。

「...あのさ、親父。大事な話があるんやけど」
「なんや」(テレビ見てる
「俺さ、今の仕事辞めて来年からカンボジアで働くわ」
「ほー」(タバコすぱー
「えっ(返事軽くね)」
「どこやそれ」(タバコとんとん
東南アジア。タイの横」
「そうか」(焼酎ぐびー
「... (これ絶対分かってないやろ)」
「ええんちゃうか、好きにしたら」(再びタバコすぱー
「えっ(かっる!返事かっる!)」

めっちゃ軽い返事だった

親父はいつもの調子で、淡々と答えた。拍子抜けするぐらいあっさりと。なんだこれ。頑張れ、とかそういう言葉もなかった。

知ってはいたが、放任主義過ぎやしないか。私の悩んだ時間はなんだったんだろう。詮索せずに「そうか」と言う、いつもの親父のままだった。個人的には大イベントだったのに。まぁいいか。

信頼されてる証拠だと、前向きに考えておくことにしよう。2人暮らしして良かったな、うん。