読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カンボジアで働いている人の備忘録

24歳、なんかカンボジアで起業したみたいです(他人事)

子供の頃、そして大人になった今。「火垂るの墓」への印象は変わっていた。

子供の頃、私は金曜の夜が好きだった。次の日は休日ということもあって、普段はできない「夜更かし」が許されるからだ。普段は観れない番組を、内容も分からず親と一緒に眺めていた。母が切ってくれたリンゴをかじり、ホットミルクで溶かしたミロを飲みながら。父はビール、母はコーヒー。いつも大人たちが当たり前に奏でていた夜分の風景に、自分が混じっている。子供心に「これが大人か!」と思っていたことを今でも覚えている。

その中でも特に印象に残っている番組がある。金曜ロードショー。映画といえばこの音楽「Cinema Nostagia」を連想してしまうほど、記憶にこびりついている。カタカタカタカタ...と黒帽子のおじさんが射影機を回すあの音が聞こえてくるようだ。

金曜ロードショーでいろんな映画を観た覚えはあるんだけど、不思議と内容はあまり覚えていない。こんな場面あったよね、というワンシーンごとの記憶ならあるけど、話の大筋がすっぽり抜け落ちていることが多かった。

野坂昭如さんの訃報

なんでいきなり金曜ロードショーの話をしたかというと、先日のニュースで思うところがあったから。先日、作家の野坂昭如さんが逝去した。この方が「火垂るの墓」の原作者であることを知ったのはこの訃報からだった。
www.asahi.com

火垂るの墓。夏場になると今でも地上波で放送されている。戦争の悲惨さ、理不尽さ、やるせなさ。これらを十二分に描写した映画だ。原作とアニメの違いやあらすじに関してはこのサイトを参考して欲しい。
dearjudy19.com

ある程度の歳になると、この映画を見る度に心がズンと重たくなる。観たくないものを観てしまったような、一種の罪悪感なのかもしれない。

子供の頃に観た「火垂るの墓

私は、子供の頃にもこの映画を観ている。それこそ小学校低学年ぐらいの時に。正直なところ、話は全く理解できていなかった。なんだか暗い話だなぁ、程度の印象しか持てなかったことを覚えている。

学校の道徳の授業で火垂るの墓を観させられた時には感想文の提出があった。大して内容も理解せず「せんそうは、たいへんなのでダメだとおもいます。あと、いじわるもダメだとおもいます」と感想を書いたのを覚えている。私の中で火垂るの墓は、「ハゲのにーちゃんと子供が、戦争と親戚のババァのせいで苦労する話」程度の認識だった。この時点でもうズレてますね、はい。

それでもいくつかのシーンは鮮明に覚えている。

雑炊の量でガッツリ差別されて気まずくなるシーン。
丸机の上のおにぎりが食べられないシーン。
一升瓶から米を移すシーン。
洞窟前で清太が作る謎雑炊のシーン。
清太が畑で野菜を盗もうとしてボコられるシーン。
弱った節子に氷の削り残しを食べさせるシーン。
そして、ドロップをお湯に溶かすシーン。

子供の頃の私が覚えていたのは、食事に関わるシーンばかりだった。アホ頭の私にとって、火垂るの墓という物語を線で捉えることは出来なかったらしい。食べ物のシーンのみを点で捉えていたせいか、強く印象に残っていたのかもしれない。

そしてもう一つ。親戚のババァがめっちゃ嫌なババァに見えてた。飯は少なくしてくるし、意味は分からんけど嫌味っぽいこと言うし、なんかいっつも機嫌悪そうにしてるし。

今にして思う。私は清太目線でこの映画を観ていたんだと

大人になってから観た「火垂るの墓

大人になると目線や味方が変わっていた。気がつくと私は、親戚のババァ目線でこの物語を追っていた

働きもしないのには飯は食う。その癖いっちょ前に飯の催促はする。挙句の果てには文句も漏らす。タダで家に置いてやっているのに...と、思うのは当たり前の話だ。たかだか親戚に、あれこれしてやる道理もない。

最終的には「二人で暮らす」と出て行く。自分で稼いだり食ってく手段もないままに、幼い妹を連れてあてのない生活に巻き込んだ。結果論になるが、清太の無計画さから節子は命を落とすことになる。

親戚のところに居れば、少なくとも衣食住は保証されていただろう。居心地が良いかどうかはさておき、死ぬまでの事態にはならなかったかもしれない。悲惨な結末を招いた原因の一端は、間違いなく清太自身にある。

戦争が悪い、といえばそれまで。だが、清太の選択に誤りがなかったかと言えば疑問の余地がある。大人になるとどうしても清太の未熟さに目が向いてしまう。だからこそやるせない気持ちがより強く押し寄せてくるんだけど。

さいごに

私は平成3年生まれなので、戦争を知る世代ではない。戦争の悲惨さを後世に伝えるべきと言われても、正直ピンと来ない。火垂るの墓を観た今でもそう感じる。

火垂るの墓という作品が、何を伝えたかったのか。何を残したかったのか。私にはその全てを推し量れない。けれど、この物語はフィクションではない。実体験を元にして描かれたノンフィクションだ。

現実に、清太のような葛藤をした人間が居た。そしてその人間は先日亡くなった。この事実の重みは、物語以上に心の深淵に訴えるものがあると思うのです。