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カンボジアで働いている人の備忘録

24歳、なんかカンボジアで起業したみたいです(他人事)

カンボジアに行くと決めてから、いろいろと思うところがある

今週のお題「今年見に行ってよかったもの」

私が嫌いなクソ自己啓発っぽい内容になってしまった。おげ。

少しだけでもカンボジアを見れて良かった

今年の夏頃、カンボジアプノンペンに2泊4日の日程で視察に行った。「カンボジアで働けへんか」と誘って頂いた方にひっついて行く形で。視察っつっても実際はカバン持ちみたいなもんだけど。

カンボジアを生で見る前までは、まだ気持ち半分というところ。実際に街を見て、感じて、その上で行くかどうかを決めたかった。ていうか見てもないのに「行きます!!!」って言っても、色んな意味で信用が得られないような気がしたし。

んで実際見た感想は「まぁ住めないことはないな」だった。住むには問題ないと分かれば悩むこともない。海外で働いてみたい、という「人生で一回ぐらいやっときたいことリスト」の内のひとつを叶えるいい機会だと思った。胡散臭い?怪しいコンサルとかじゃなくて、社会的な信用のある人だから大丈夫(震え声)

見たと言っても、プノンペン市内でも見たのはごくごく一部。スタディツアーのような形で、現地の飲食店とか不動産を何件か見たぐらい。ほぼほぼ旅行と変わらんか。「カンボジアってええとこでっせー」っていうことをPRする接待に近かったような気がする。

現地の人がどういう性格なのか。一般層はどういう暮らしをしているのか。何を食べて、どうやって日々を送っているのか。今でもその辺りは全くわからない。まぁ、その辺りは住んでみるまで分からんだろうから考えないことにした。

カンボジア行きに関する周囲の反応

この話が決まってから、色んな方に様々な意見を頂いた。

「自分の人生に対して無責任過ぎる」
「他人を信用し過ぎ」
「若い内にチャレンジするのはいいこと」
「飽き性のお前には無理」

私の信用のなさか、心配されたり諭されたりすることの方が多かった。どの言葉も一理ある。たぶん私が逆の立場でも、同じことを言ってると思う。どう考えても胡散臭い。否定できない。

誘ってくれた人が「やっぱ辞めるわ」と言ったらこの話は即終了。新興国だから事情も変わりやすい。サラリーマンのメリットである保険、年金、ボーナスも全てなし。必ず、なんて言葉は使えないくらいあやふやなことばかり。不確定な要素が多すぎて、安心してくれなんて言葉は口が裂けても使えない。

ぶっちゃけデメリットはかなり多い。色んなものを捨てて行く必要がある。考え過ぎると悪いことしか頭に浮かばなくなる。

それでも何で行くのか?足りない知恵を振り絞って考えていると、悪いことしか浮かばなくなって嫌になってきた。

もしも〜になったら...と悪い未来を想像し始めるとキリがない。だから「どんな場所だろうが、良い悪いもどっちも起こりうる」と思考放棄しつつ腹を括ることにした。明日は明日の風が吹くともいう。

もしも私がこのまま今の会社で働き続けたら。おっさんになっても使えないダメリーマンのまま一生を終えるかもしれない。最悪リストラもあるかもしれない。でも平々凡々とした生活を手に入れられるかもしれない。華麗な転職を決めて素晴らしい人生を歩むかもしれない。かもしれない、かもしれない。結局考えたところで、答えは出ない。

欲とコンプレックス

成功したい。金持ちになりたい。モテたい。有名になりたい。人よりいい暮らしがしたい。もっと楽して生きたい。

どんな形であれ人には欲がある。もちろん私にも。あれが欲しい、これも欲しい、もっと欲しいもっともっと欲しい。あまり口には出さないが、どっかのバンドが叫んでいたことに共感してしまう。

欲は誰しも平等に持っているが、「どれだけ努力できるか」という点においては平等じゃない。成功する人は人並み以上に努力している。他の人が休んでいる時間でも汗を流す。そういう人はより良い職場に見つけ、より高い給与を得て、より素晴らしい生活を送ることができるだろう。

努力すれば成功する確率が上がる。それでも努力できない人は多い。なぜか?単純に、面倒臭がりだから。

私自身、かなりの怠け者だ。努力はだいたい3日坊主で終わる。継続できない。なんとかしなきゃなぁと思っていると、気づけば24歳になっていた。大した実績もないまま、心の奥底で「自分は他の人と違う」と高校生のようなクソ幻想を抱き続けるアダルトチルドレンに染まりつつある。

同世代でバリバリ働いている人を見ると、心のどこかでコンプレックスを感じてしまっている自分がいた。同い年がこんなに頑張ってるのにそれに比べて私は、と。

第一線で戦っている人たちに追いつきたいが、何をすればいいのか分からない。それを考えるだけの頭も度胸もない。ない、ないと言い訳することが癖になって、結局何もしないまま月日は流れていく。

気づけば私は、将来の自分が怖くなっていた。誰とでも代用の効く、価値のない人間になることが。子供の頃に「こんな大人になりたくねぇよなぁ」と言ってた、あのイメージそのままの大人に自分がなるんじゃないかと。

「価値ある人」になりたい

価値ある人間、という言い方は少しトゲがあるか。いくら稼ぐとか、地位が高いとか、そういう意味ではない。言い換えると「この人にしか出来ないことがあるんだよ」と言って貰えるような人。それが私の思う「価値ある人間」だ。

私は価値ある人になりたい。そうすれば、結果的に欲しいものが付いてくるんじゃないかと思っている。代用が効かないなら仕事も来るし、信頼も得られるし、結果的に欲は満たされることだろう。

そうなるために、私はカンボジアへ行くという選択をした。希少価値の高い経験を積んで「これは私にしかできませんよ」と言えるものを増やせれば、きっと自分が思うカッコイイ大人になれるだろうと。結局のところ、行くきっかけってのはコンプレックスの裏返しなのかもしれない

努力できないなら、努力せざるを得ない場所に身を置く。頑張らざるを得ない環境としてカンボジアに行く。私にとってはそれだけの話。ヒキニートが家を出て働くのと変わらない。

さいごに

カンボジアプノンペン。この街が私に何をもたらしてくれるのか。私は何を捨てて、何を拾って帰るのか。今はまだ、分からない。