カンボジアで働いている人の備忘録

24歳、なんかカンボジアで起業したみたいです(他人事)

「〜しないといけない」が口癖になってた

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ちょっと前に、とある方に「キミは何がしたいの?何やってる時が楽しいの?どうなりたいの?」と聞かれた。

私は「やりたいこと?特にないです。Belloでしっかり働かなくちゃいけないし、WEBサイトもキッチリ作らないといけないし...今は目の前のことをキチンとやらないといけないんです」と私は答えた。

その時にハッと気づいた。やたらと「〜しないといけない」って表現を多用していたことに。

義務感に追われている。自分の意思が無いのが言葉に現れているんじゃないかと。

こりゃアカンと思った。少し自分を見つめ直す時間が必要っぽい。というワケでブログを書く。文章に起こすって大事。

義務感について

「〜しないといけない」「〜すべき」「〜しちゃいけない」とか、義務を表す言葉を多用しすぎ。思い返せば、カンボジアに来る前からその傾向があったような。

大した思想や理念もないくせに、なんで無駄に「べき論」を振りかざすようになったんだろう。ちょっと自分を掘り起こして考えてみる。

受験の時を思い出す。ぶっちゃけ勉強なんてクソつまらんからやりたくない。けれど今のご時世、大学ぐらい出とかないといけないし。そう自分を納得させて、仕方なく机に向かって勉強していた。

就職の時はどうたったっけ。ぶっちゃけ仕事なんてしたくないし、一日中寝ていたいし、ぐーたらゲームでもして過ごしたいし。けど金が無いと生きてけない。金を得るには働かねばならないから、テキトーに選んだIT会社に就職した。

人生の一大イベントともいえる受験や就職。その節々で私は何を感じて、どんな選択をしていたか。箸にも掛からぬつまらない義務感に追い立てられ、平坦な小道に逃げ込んだだけだった。

どうやら、私の根源には「〜したくない」ていう拒否反応が根付いているようだ。それを無理やり抑え込んで、無理やりにでも行動させるためのスイッチが「〜すべき」ていう義務感らしい。

なぜ、べき論に縛られるのか

自分自身を振り返ってみて、その原因を大きく3つに分けてみた。

原因その一:恐怖

義務感が生まれる根底には恐怖がある。

私自身もそう。勉強しないと高卒になる。怖い。働かないとニートまっしぐらで社会のクズ扱い。怖い。特別なスキルを持ってないと将来的に野垂れ死にそう。怖い。怖い怖い怖い。あらゆる未来に対してビビってばかり。

前に踏み出すためというよりは、後ろに引っ張られないために踏ん張る。現状維持、つまりマイナスにならないための一手。その選択をする際に義務感が生じているのか。

原因その二:思考停止

「普通の人なら◯◯ぐらい出来て当たり前」「◯◯以外はあり得ない」「◯◯以下はゴミ」みたいな、どっかの誰かが言ってた「〜べき」ていう主張を、疑わず思考停止したまま鵜呑みにする。

素直な人ほど危ない。誰かとコミュニケーションを取れば取るほど、心を縛る鎖が増えるということもあり得る。

常識とか、普通とか、全員とか、周りとか。そういう言葉を頭につけて、極論持論を一般論に仕立て上げる人も珍しくない。私も無意識にそういう表現使ってる時がある。

原因その三:劣等感

劣等感が強いと自分の主張に自信が持てなくなる。するとどうなるか。どっかの誰かの言葉を借りた「べき論」にすがるしかない。自分で考えて決めたことじゃないので、当然だが義務感を感じてしまう。

これの最もタチが悪いのが、他人が決めた分かりやすいライン、つまり0か1かの極端な思考回路に陥ってしまうところだ。中間の曖昧な部分が許せないために、より強く義務感を感じてしまうようになる。

「べき論」から抜け出すために必要なこと

ここまでまとめてみて、凄く感じた。

「欲と余裕を持て!」

これが悩みの答えになりそう。

欲について

義務感を感じない瞬間、それは2種類ある。

一つは、その瞬間を楽しんでいる時だ。スポーツをしている時、楽器を弾いてる時、ゲームをしている時...いずれも行為自体を楽しんでいる。義務感もクソもない。

そして二つ目は、目標に向かって努力している時だ。仕事自体は大変で辛いが、その先の達成感や成果にワクワクしている時。これが凄く重要。マジで。

目標という表現は、欲と言い換えてもいい。何が欲しい、何がやりたい、どう生きたい、どう在りたい。これら全て目標であり、同時に欲でもある。

ゴールがしっかり見えていれば、べき論や義務感に振り回されて無為な時間を過ごすこともないだろう。

余裕について

べき論に縛られている時、得てして心は凝り固まっている。私を含め、べき論を振りかざす人にはだいたい余裕がない。それが言葉の端々に漏れてしまっている。

これは個人的な印象だが、自分自身をしっかり持ってて余裕のある人は、あまり「〜べき」という言葉を好まない。「〜してみたらいい」のような、一歩引いてオススメするような表現を使う。伝え方一つとっても、相手を思いやるゆとりがある。

ヒトが成長するためには、持論を持ちつつ固執しない姿勢が肝要だ。新たな情報を受け入れるための心のスペースは、ゆとりがあった方が良い。

さいごに

自分探しとか自己啓発とか死ぬほど嫌いだけど、やっぱある程度は必要なものらしい。食わず嫌いせずに、いろいろと飲み込んで消化して吐き出してを繰り返していこうと思う。